山笠のあるけん博多たい
皆さん、初めまして。博多祇園山笠千代流に参加させて頂いている臨床工学科 寺坂です。七月十一日流舁きでは自身の勤める病院の前で台上がりという貴重な経験をすることが出来ました。山笠終了後、仕事に復帰した時には『この前、台上がりしとったね!!』『台上がり、凄かったね!!』と色々な方から声をかけて頂きました。
私の博多祇園山笠との出会いは在宅診療所の横にあるファミリーショップ西村さんが町内を取り仕切って頂いており、偶々そこに通っていた社会人1年目の自分にお店の女将さんから声をかけて頂き博多祇園山笠に参加することになりました。山笠は上下関係が厳しい、地元で育った人しか参加できないというイメージを持たれている方もいるかもしれませんがそんなことはなく、町内の先輩方は右も左も分からない新人の自分を快く受け入れて頂き山笠の伝統や行事に関して教えて頂きました。
自分は学生時代にラグビーをしていて皆で何か一つのことを成し遂げるということが好きな性格もありお陰様で今年で参加して16年となりました。
博多祇園山笠の起源については諸説ありますが、鎌倉時代の1241年に博多で疫病が流行した際、承天寺(博多駅近くにあり、うどん・蕎麦・饅頭の発祥の地と言われている)の開祖であり当時の住職である聖一国師が町民に担がれた木製の施餓鬼棚に乗り水を撒きながら町を清めてまわり疫病退散を祈祷したことを発祥とするのが通説です。安土桃山時代には、島津氏と豊臣氏の戦いにより博多の街は焼け野原となりましたが、豊臣氏の帰国の際、博多の街をいくつかの区画毎に『流』(ながれ/町の集合体)としてグループ化し復興を行いました。現在の流は大黒流・東流・中洲流・西流・恵比寿流・土居流そして千代流の7流であります。
私が参加する千代流は戦後に誕生した比較的新しい流ではありますが、全24ヶ町で構成されており舁き手(山笠は“担ぐ”ではなく“舁く”と表現します)も多く統率の取れた動きを見せています。流の区域は千代校区と重なっており、千鳥橋病院・千代診療所も流区域に入っています。水法被の背は全員白地に『千代』の二文字で統一されていて、観客の方々からも『一体感があり格好いい』との声を頂いています。
博多祇園山笠は博多の総鎮守として知られている櫛田神社の奉納神事として毎年七月一日お汐井取りから始まり、十五日追い山まで開催されています。今年で783年目を迎える伝統ある祭で、国の重要無形文化財にも指定され、2016年にはユネスコ無形文遺産にも登録されています。そのような伝統ある祭りに参加できていることを大変嬉しく思うと同時に、その伝統や文化を守りながら後世に継承していく責任を感じながらこれからも山笠に参加し博多の夏を盛り上げていきたいと思います。
『山笠のあるけん博多たい』というフレーズは有名ですが、私は地域の方々の御理解・御協力そしてご支援があってこその博多祇園山笠だと常々感じております。私が参加させて頂いている町内においても、源に常に変わらず有り続けたのは、千鳥橋病院や千代診療所そして千代地区に住んでいらっしゃる方々の支援でした。皆様のお力無しには現在の姿はありません。改めて、博多祇園山笠参加者の一人として皆様の長年における温かなご支援に深く御礼申し上げます。
七月十五日追い山をもって今年の博多祇園山笠は終わりましたが、今後も文化や伝統を受け継ぎながら800年、1000年と続き博多の皆さんに愛される祭りであり続け博多の夏を盛り上げるよう頑張っていきます!!