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熊本地震医療支援報告

被災者の希望となる支援

 当院では4月に発生した熊本地震後すぐに、熊本市内の熊本県民医連の病院などに医師・看護師・リハビリセラピストなどを支援として約100名の派遣を行いました。現地では診療はもちろんのこと避難所訪問や地域訪問、車中泊訪問などを積極的に行いました。派遣された職員・送り出した職員は心ひとつに「熊本の医療を守る。患者さん・地域住民を守る。被災地の職員を守る」を合い言葉に奮闘しました。

また、阿蘇大橋が崩落した南阿蘇地域では唯一の救急病院が地震のため、診療が不可能となり、地域クリニックの活動も一時ストップした間、地域の介護施設を仮設診療所として全国の民医連の仲間と共に、日赤や「国境なき医師団」など様々な医療団体とも協力して2次被害の防止など全力で支援を行いました。

 

自分にできることを見つけて

 医師(初期研修医)

2016年4月の熊本地震に対し、熊本民医連・くわみず病院に医療支援に行きました。

4月16日・本震発生の朝に出勤すると、病院ではすでに医師や事務の方が慌ただしく支援の準備を進めていました。山本副院長に「支援に行かないか?」と誘われ、2時間後には支援車両で熊本に向かっていました。当時は強い余震も断続的に続いており、大自然を相手に何ができるか分からず不安でいっぱいだったのを覚えています。熊本付近は高速、一般道ともに緊急車両や支援車両などで混雑していました。通常の倍以上の4時間ほどかけてくわみず病院に到着しました。すでに災害対策本部は立ち上がっており、1時間ほどのオリエンテーションの後に早速それぞれの業務に入りました。救急外来では腹痛や脱水、嘔気嘔吐など震災によるストレス関連の症状が多い中で、十二指腸潰瘍穿孔、急性虫垂炎、急性硬膜下血腫など緊急手術のために他院へ搬送したケースもありました。自身も被災者である現地の医師や看護師さんは皆非常に明るく、元気に活動している姿(そう振る舞ってくれていたのかもしれませんが)には、支援に行っている自分が逆にはげまされました。

3日間被災地に行くことで多くのことを感じ、経験することができました。短い期間でしたが、このような経験ができて本当によかったと思います。地域的には少しずつ落ち着いてきましたが、まだ支援は必要です。

これからも自分にできることを見つけて実行していきたいです。

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リハビリ専門職としての自覚

 PT(リハビリテーション技術部)

4月24日から3日間、災害支援に参加しました。私の活動拠点は南阿蘇地区の久木野総合福祉センターでの介護施設に急きょつくられた仮設診療所でした。現地では①エコノミークラス症候群の予防②高齢者の活動性と生活リズムの確保③元々リハビリをされていた方への対応④子ども達のメンタルケアなどのニーズも多く、リハビリ専門職として関わることができました。具体的には集団体操の実施や子ども達とサッカー、現地職員の方と連携して支援が必要な避難者をピックアップし、個別的な介入もおこないました。また夜は車中泊者の健康チェックに同行させてもらうなど現地の状況を知ることもできました。

3日間の災害支援はあっという間でした。はじめての災害支援で不安もありましたが、リハビリの支援メンバーでLINEグループを作り、時間の経過と共に変わる現地の状況や支援内容を情報共有することで、不安の解消や継続した支援の大切さを実感することもできました。支援先により活動内容は様々ですが、今回の支援では自分の専門分野の知識や経験を生かした活動も行うことができ、とても貴重な経験ができました。

被災地で感じたのは支援を継続していくことの大切さと難しさです。地域に根ざした『民医連』の継続した支援活動は現地の被災者の希望となっていました。

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会う人全員に声を掛けよう

 看護師

全日本民医連からの要請の第2陣(4月21日~24日まで)として熊本入りしました。私に与えられた任務は被災地でも被害の大きかった益城町での地域活動でした。1日目は避難所訪問。避難所へ民医連が入るのは第2陣がはじめてとのことでした。私が地域活動をさせて頂く4月22日からようやく民医連にも避難所訪問の要請が来ました。しかし目の行き届かない小さな公民館にはだれも医療者が入っていない現状でした。

2日目は地域訪問。地図を広げ友の会会員の自宅を確認し歩いて回りました。目を覆いたくなる程の家屋の倒壊、ほぼ全壊でした。1日かけて10軒程回りましたが、会えた世帯は1世帯のみ、それも黄色の紙で『危険』と貼られている家屋でした。予想していた事態でしたので、私達のグループは「会う人には全員に声を掛けよう」を合言葉にしました。 途中、倒壊した自宅横の納屋で過ごす高齢夫婦にお会いし、「避難所には食事だけもらいに行くが、気を遣うから納屋で寝た方がいい」と話されました。もちろん医療の目は入っていません。報道された通り車中泊の人も多く、血圧を測りながら足をさすり、いつまで続くかわからない状況に私は励ます言葉を見つけることができませんでした。

私達が行うべき支援は、目の届く避難所はもちろんですが、目の届かない所で避難している被災者に目を向ける支援を提供することではないでしょうか。まだまだ長い支援が必要であると同時に時間の経過に伴い支援の内容も変化していくと思います。今必要とする支援を民医連らしさで支える時だと感じました。