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2023年原水爆禁止世界大会に参加しました

広島・長崎原爆投下から78年経った2023年、福岡医療団から長崎・広島の※原水爆禁止世界大会に28名の職員が参加しました。

(※人間の尊厳を踏みにじる核兵器の非人道性、被爆者の声、被爆の実相を世界に届け、「核兵器のない世界」を求める世論と運動をひろげ、市民社会と諸国政府の共同を大きく発展させるため、 被爆地から市民社会の「真の声」を発信する大会です)

原水爆禁止世界大会in広島へ参加した事務職員8年目Rさんに話を聞きました。
Rさんは、8月6日広島の戦跡巡りをおこなった後に原水爆禁止世界大会に参加しています。
現地で学んだこと・感じたことを紹介してもらいました。

時代を超えて核兵器の廃絶と世界の恒久平和の大切さを訴え続ける原爆ドーム

原爆ドームはレンガ作りの地上3階、地下1階の建物でした。被曝当時、館内にいた20~30人は全員即死したそうです。建物は一瞬にして大破し、炎上。爆風はほぼま上から来たため、外壁の倒壊は免れ、中央のドームの鉄骨とともに残りました。いつしか原爆ドームと呼ばれるようになり原爆の惨禍を後世に伝えて、核廃絶を世界に訴える、ヒロシマのシンボルとなりました。被爆の悲惨な思い出につながることから、取り壊しを望む声もありましたが、生後1年7ヵ月の時、自宅で被爆した楮山(かじやま)ヒロ子さんの日記 「あの痛々しい産業奨励館だけがいつまでも恐るべき原爆のことを後世に訴えかけてくれるだろう」この文章がきっかけとなり、保存が決議されました。当日の広島平和祈念式典には、世界各国の人々が参加し今日の世界情勢により、人々の関心の高さに驚き、またこんなにも多くの人が平和を望んでいると実感しました。

 

原爆によって大きな被害を受けた袋町小学校

爆心地から460メートルの位置にある袋町小学校は、原爆によって大きな被害を受けました。当時、多くの児童は疎開により被害を免れましたが、残っていた児童のほとんどが一瞬にして命を失いました。また、木造建物はすべて倒壊・全焼し、唯一鉄筋コンクリート造の西校舎だけが外郭のみ原形をとどめました。かろうじて焼け残った西校舎は、被爆翌日から、被災者の救護所として、救護活動の重要な拠点のひとつになりました。

右の写真はそのときに書き残された被爆者の消息を知らせる伝言版です。これらの伝言はすすがついた黒板にチョークで書かれています。

被爆遺跡は他にも原爆供養塔・韓国人原爆犠牲者慰霊碑などを巡りました。どの遺跡にも私達と同じようにガイド等から説明を受けている方々が多くいました。そのように多くの人が遺跡から原爆の悲惨さを知り、核兵器廃絶の声が大きくなればいいなと思います。

 

原水爆世界禁止世界大会では、被爆者の方の話が聞けて本当によかったです。車いすに乗りながら息をきらしながら当時の様子や今までどうやって生きてきたか語っていただきました。90代の2人のお話を直接聞くことができる人があとどれくらいいるのだろうかと思うと自分たちができるだけ多くの人に発信しなければと思いました。

広島での平和学習は、他にも大和ミュージアムや被害だけでなく加害の歴史を学ぶため毒ガス工場の見学なども行いました。初めて知ることばかりで、頭が追い付かなかったのですが、他の職員への報告を機会に再度振り返り理解を深めることができました。

今後も一緒に働く職員たちと平和について考え、行動していきたいです。

原水禁世界大会参加者報告会の様子